鬼門とは?お城と鬼門の深い関係
お城めぐりをしていると、城の間取りや門の位置に一定の法則があることに気づくことがある。その中でも「鬼門」という考え方は、日本の城郭建築に大きな影響を与えてきた。鬼門とは、北東の方角を指し、不吉な方向とされている。これは中国の陰陽道に由来し、日本でも平安時代以降、鬼門を意識した建築が広く取り入れられるようになった。
特に戦国時代から江戸時代にかけて築かれた城では、鬼門の方角を意識した造りが数多く見られる。武士たちは敵だけでなく、目に見えない災厄からも城を守るため、さまざまな鬼門除けの工夫を施していた。
城に施された鬼門除けの工夫
城に取り入れられた鬼門除けの手法はいくつか存在する。その中でも代表的なものを紹介しよう。
① 不開門(あかずのもん)——鬼を入れない工夫
多くの城では、鬼門の方角に門を設けることを避けるか、仮に門があったとしても通常は閉じたままとする「不開門(あかずのもん)」が設けられることがあった。
例えば、江戸城の「田安門」は鬼門の方角にあたるため、本来ならば門を設けること自体が避けられるべき場所だった。しかし、戦略上の必要性から門を設置せざるを得なかったため、通常は開かずの門として扱われた。
② 変則的な建築——凹ませて鬼の侵入を防ぐ
鬼門除けの手法として、城の一部を意図的に凹ませるという工夫も見られる。これは、「鬼は直線的にしか進めない」という考えに基づいたもの。城の建物や塀の一部をへこませることで、鬼の侵入を防ごうとしたのだ。
たとえば、名古屋城や彦根城では、鬼門にあたる部分の建物の配置がわずかにずらされていたり、凹ませる工夫が見られる。このように、見えない脅威への対策が城の構造にしっかりと組み込まれていた。
③ 鬼門に神社や祠を配置——神の力で鬼を封じる
もうひとつ、鬼門除けとしてよく見られるのが、城の鬼門の方角に神社や祠を配置する方法だ。これは「神の力で鬼を封じる」という考え方に基づいている。
たとえば、大阪城の鬼門には「豊國神社」が鎮座しており、徳川家康の建てた江戸城の鬼門には「日枝神社」が祀られている。このように、多くの城では鬼門の方角に神仏を祀り、厄災から城を守る工夫がなされていた。
鬼門除けの工夫を感じる城めぐり——実際に訪れてみた
実際に鬼門除けの工夫が施された城を訪れてみると、その意図をより実感できる。今回は、鬼門除けが特に顕著な江戸城と名古屋城をめぐってみた。
江戸城——都市設計にも鬼門除けの思想が反映
江戸城は、鬼門の方角を強く意識して築かれた城のひとつだ。城の鬼門には「日枝神社」が祀られているが、これは単なる信仰の問題ではなく、都市設計にも影響を与えている。
実際に江戸城を歩いてみると、鬼門に向かう道はわずかに曲がっており、まっすぐに城へ進めないような構造になっていることに気づく。これは、鬼が直線的にしか進めないという考え方に基づいたもので、江戸城の都市計画にも鬼門除けの思想が反映されていることがわかる。
名古屋城——鬼門に隠された細かな工夫
名古屋城にも、鬼門除けの工夫が随所に見られる。たとえば、天守の鬼門にあたる場所には「城山八幡宮」が鎮座しており、神の力で鬼門を封じる役割を果たしている。
また、城の東北側には目立たないが小さな凹みがあり、鬼の進入を防ぐための細工が施されていることがわかる。実際に現地で観察してみると、こうした工夫が意外と多いことに気づかされる。
まとめ——城づくりに息づく鬼門除けの知恵
城郭建築における鬼門の影響は、単なる迷信ではなく、戦略や都市設計にも大きく関わっている。門の配置を工夫したり、建物の形を変えたり、神社を建てることで、目に見えない脅威から城を守ろうとした武士たちの知恵が詰まっている。
実際に城を訪れる際は、こうした鬼門除けの工夫に注目してみると、また違った視点で城めぐりを楽しむことができる。城の構造を深く知ることで、歴史の奥深さをより身近に感じられるはずだ。