安土城跡を歩く 〜織田信長の夢が眠る城〜

はじめに

滋賀県の琵琶湖東岸にそびえる安土山。その頂きに広がるのが、かつて織田信長の居城だった安土城の跡地だ。天正4年(1576年)から約3年の歳月をかけて築かれたこの城は、日本の城郭史において画期的な存在だった。しかし、本能寺の変後に焼失し、今は石垣や礎石が当時の面影を伝えている。

今回は、歴史的背景を振り返りながら、実際に安土城跡を訪れたときの体験も交えて、この魅力的な史跡を紹介していこうと思う。


安土城の歴史的背景

信長が目指した理想の城

安土城は、天下統一を目前にした織田信長が本拠とした城だ。それまでの城は防御を重視した山城が主流だったが、信長は安土城を単なる防衛拠点ではなく、権力の象徴として設計した。そのため、城の外観や内部装飾には当時の最高技術が惜しみなく投入されたとされる。

城の構造も独特で、それまでの天守(城の中心となる建物)とは一線を画した「天主」が建てられた。特に天主の外壁は、朱色や青色、白色で彩られ、最上階には金箔が施されていたというから、その豪華さは想像を超える。

突然の終焉

しかし、信長の夢の城は短命に終わる。天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が討たれた後、安土城は焼失。その原因については明確な記録がなく、未だに謎が多い。焼失後は豊臣秀吉の時代を経て、江戸時代には廃城となり、現在に至る。


実際に訪れてみた 〜安土城跡散策記〜

JR安土駅から安土城跡へ

安土城跡へのアクセスは、JR安土駅が起点となる。駅を出るとすぐに「安土城郭資料館」があり、ここでは城の模型や復元図を見ながら予習ができる。事前に知識を入れておくと、現地での理解が深まるので、ぜひ立ち寄っておきたい。

駅から城跡までは徒歩で20〜30分ほど。途中には「安土城考古博物館」や「信長の館」など、歴史に触れられるスポットも点在しているので、寄り道しながら歩くのも楽しい。

大手道を登る

安土城跡の入り口に到着すると、まず目を引くのが「大手道」だ。約500メートルにわたるこの石段は、城の正面玄関にあたり、両脇にはかつての重臣たちの屋敷跡が残っている。左右対称に配置された屋敷跡は、信長の城が計算され尽くした構造だったことを物語る。

石段を登るにつれ、風景が開けてくる。周囲は緑が多く、歴史を感じながら歩くにはちょうど良い静けさだ。途中、黒金門跡や本丸跡を巡りながら進むと、天主跡へと到達する。

天主跡からの眺望

天主跡に立つと、琵琶湖を一望できる。この眺めを見ていると、かつて信長もここから天下を見据えていたのではないか、と想像が膨らむ。礎石が残るだけの天主跡だが、ここにそびえていた七層の建物がどれほど壮麗だったかを考えると、圧倒される。

少し東へ下ると「黒金門跡」があり、ここには立派な石垣が残っている。安土城の石垣は加工技術が高く、今でもその堅牢さが伝わってくる。


見どころ

豊臣秀吉が建てた織田信長廟

天主跡の南側には、豊臣秀吉が信長を弔うために建立した「織田信長廟」がある。信長の死後も家臣たちの崇敬を集めていたことがわかる。今も手入れがされており、訪れる人々が手を合わせる姿をよく見かける。

家臣団屋敷跡と八角平

大手道を登る途中には、信長の側近たちが住んでいた屋敷跡がある。石垣の遺構が点在し、城全体の規模感を肌で感じることができる。また、山の尾根沿いに進むと「八角平」と呼ばれる場所があり、ここからの景色も見事だ。


アクセス情報

交通手段

  • 電車: JR安土駅から徒歩約20〜30分
  • : 名神高速道路「八日市IC」または「竜王IC」から約30分(周辺に駐車場あり)

入山料

安土城跡の入山には700円(大人)の協力金が必要。

営業時間

  • 午前9時〜午後5時(最終入山は午後4時まで)

まとめ 〜安土城跡で歴史を感じる旅〜

安土城跡は、信長の壮大な構想とともに、日本の城郭史に名を残す貴重な遺構だ。豪華な天主は今や消えてしまったが、その礎石や石垣が当時の姿を偲ばせる。

実際に歩いてみると、単なる城跡ではなく、信長の足跡をたどる旅になる。琵琶湖を見下ろしながら、天下統一の夢に思いを馳せる時間は、きっと特別なものになるだろう。歴史好きなら一度は訪れる価値がある場所だ。