激動の歴史を見つめ続けた東北の要衝・会津若松城

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画像引用元:会津若松観光ナビ(https://www.aizukanko.com/feature/tsurugajo/top)

福島県会津若松市のシンボルであり、地元の人々から親しみを込めて「鶴ヶ城」と呼ばれる会津若松城は、数ある日本の城郭の中でも極めてドラマチックな運命を辿った場所です。

歴史

その歴史はおよそ600年以上前、南北朝時代に葦名直盛が築いた黒川城にまで遡ります。戦国時代の荒波の中で、この地は東北の覇権を争う重要な拠点となりました。

しかし、現在の鶴ヶ城の基礎を築いたのは、豊臣秀吉の命を受けてこの地に入った名将・蒲生氏郷でした。彼は黒川の地を若松と改め、城下町の整備とともに、七層の壮大な天守を持つ近世城郭へと大改修が行われました。氏郷の家紋である舞鶴にちなんで「鶴ヶ城」と呼ばれるようになったとも伝えられています。

その後、上杉氏や加藤氏を経て、徳川家光の異母弟である保科正之が入城して以降、明治維新に至るまで会津松平家の居城として栄華を誇りました。

幕末の動乱期には歴史の表舞台として過酷な運命に直面します。戊辰戦争における会津戦争が勃発し、新政府軍の猛攻を受けることになったのです。

最終的には降伏によって開城、取り壊されてしまいましたが、激しい砲撃に耐え、最後まで会津武士の矜持を守り抜いたその姿は、今もなお人々の心に深く刻まれています。

見どころ

現在の鶴ヶ城天守は、昭和40年(1965年)に多くの市民からの寄付と熱意によって再建されたものです。鉄筋コンクリート造りではありますが、外観は幕末当時の姿を忠実に再現しており、その美しい姿は会津の復興のシンボルとなっています。

特に注目すべきは、工事で葺き替えられた赤瓦です。この赤瓦は、雪国の寒さで割れないよう、鉄分を含む釉薬で強度を高めた機能美の結晶です。再建当初は黒瓦でしたが、歴史的調査に基づいて幕末当時の赤瓦へと葺き替えられたことで、より往時の姿に近い、威厳ある佇まいが蘇りました。

天守の内部は郷土博物館となっており、会津の歴史や文化を伝える貴重な資料が展示されています。層を上がるごとに時代を追って歴史を学べる構成になっており、最上層の展望室からは、会津若松の街並みや磐梯山、飯盛山などを360度の大パノラマで見渡すことができます。

城郭内の県指定重要文化財である茶室「麟閣」も見どころの一つです。荒々しい戦いの歴史を持つ城の中にありながら、静寂と侘び寂びを感じさせるこの空間は、武将たちが一時の安らぎを求めた文化的な側面を今に伝えています。

また、城内を歩く際には足元の石垣にも注目してみてください。鶴ヶ城の石垣は歴代の城主たちが修築を重ねてきたため、場所によって積み方が異なるのが特徴です。
特に天守台の石垣は、敵が登れないように上に行くほど急勾配になっており、「扇の勾配」とも呼ばれ、機能性と美しさを兼ね備えています。

アクセス

アクセスについては、JR会津若松駅からまちなか周遊バスを利用するのが便利です。鶴ヶ城入口などのバス停で下車すれば、城はすぐ目の前です。
車で訪れる場合は、磐越自動車道の会津若松ICから約15分ほどで到着します。周辺には駐車場も整備されていますが、桜や紅葉のシーズン、会津まつりの時期などは大変混雑するため、公共交通機関の利用を検討するのも良いでしょう。

まとめ

城の見学には、天守への登閣を含めて少なくとも1時間から1時間半程度を見ておくと、展示物や敷地内の散策をゆっくりと楽しむことができます。会津の魂とも言えるこの場所で、先人たちが守り抜こうとした想いに触れる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。