犬山城(愛知県)

犬山城公式サイト
画像引用元:国宝犬山城(https://inuyama-castle.jp/)

国宝である犬山城は室町時代に建てられた日本最古の木造天守です。
今回は犬山城について紹介します。

犬山城の歴史・特徴

1537年に織田信長の叔父織田信康によって築かれました。
別名、白帝城と呼ばれ三国志の英雄劉備が没したとされる白帝城に重ねてつけられたものです。
当時の交通の要であった木曽川沿いにたつ犬山城は戦略上大事な拠点でした。
犬山城をたてた理由は、織田家側に侵略をしようとしていた木曽川を挟んだところにあった斎藤氏の稲葉山城を監視するためです。
戦国時代は織田家や豊臣家が城主となりましたが、江戸時代に入ると徳川家康の家老であった小笠原吉次が城主となります。
この時代に犬山城下は整備され、総構えと呼ばれる城下町を堀と石垣で囲む城郭が築かれました。
木曽川沿いに石垣と土掘が連なった形で、天守の1、2階部分が築かれたのもこの時代といわれています。
次に平岩親吉が治めますが、後継ぎがいなかった親吉の死後、数年の空白を置いて成瀬正成が城主となりました。
天守の3,4階は正成の時代に増築されたといわれています。
現在にも残る3階は唐破風、4階は廻縁をあしらった姿はこの頃に完成しました。
それから2004年まで成瀬氏が個人で所有していました。
廃藩置県で一時的に愛知県が所有していた期間もありましたが、地震による被害を修復することを条件に成瀬氏に引き渡されます。
2004年に個人で管理することが難しくなり、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、法人所有の城となりました。

犬山城を遠くを見渡せる櫓を置いた望楼が乗る三重構造となっています。
1、2階部分にあたる二重櫓の上に、あとから望楼が増築されていますが、櫓の上に望楼を別構造で載せるのが望楼型です。
望楼は初期と後期に分けられますが、望楼部分が小さく屋根の逓減率が大きい犬山城は初期望楼に分類されます。

犬山城の見どころ

平山城である犬山城は地形をいかし、入口から天守が見えづらい構造となっています。
敵兵に備えて防御の工夫が色々見られるのが見どころです。
敵が直進で天守に向かってこられないように、表門から天守まで曲がりくねった道になっています。
入口から天守へ歩くと中御門跡が見えてきます。登城道の最初の門です。右手には三光稲荷神社があり、左手側に見えるのは空堀があります。
天守を除く建築物はほとんど壊された中、空堀は当時のままで保存されている史跡です。

天守の左側に「大杉様」と呼ばれる、櫓に囲まれた杉の木があります。樹齢650年と犬山城築城前からあるとされ、天守を守るご神木としてあがめられました。
1959年の伊勢湾台風の落雷により枯れてしまいましたが、今でもしめ縄がされ大切に祀られています。

犬山城へのアクセス

名鉄「犬山遊園駅」西口より徒歩約15分