日本で最後の完全な城郭建築である伊予松山城。層塔型天守の構造形式を示しているといわれています。
伊予松山城の歴史・特徴
伊予松山城は城主の加藤義明が1602年に築城しました。同時期に松山という地名となり、城も松山城という名称になります。
1627年に完成前に加藤義明が会津に移ることになり、蒲生忠知が松山藩主となりますが、忠知が急死し断絶となりました。
翌年の1635年に松平定行が藩主となり、ようやく松山城は完成することとなります。その後、松平家の居住となり受け継がれるようになりました。
桃山文化の象徴といわれる城郭建築は、江戸時代に入ると武家諸法度により築城、増改築が禁止されたため衰えていった技術です。
武家諸法度は厳しく取り締まられていたため、落雷や地震で倒壊した場合でも再建を断念したケースもありました。
将軍のいた江戸城や大阪城の天守も再建されなかったことから、再建の難しさがわかります。
その中でも伊予松山城は、1784年に落雷で焼失したことから、1820年に再建されたのは不思議ともいえます。
伊予松山城には全国的にも珍しい登り石垣とよばれる石垣があります。これは、現存する天守の中でも伊予松山城と彦根城だけです。
ふもとの二の丸と山頂の天守を、山の斜面に上る石垣を連結させたものです。全長は230m以上あり、南側はほぼ完ぺきな形で残っています。
伊予松山城の見どころ
松山市の中心にある伊予松山城は標高161mあり、最上階からの眺めが最高です。南には石槌山系、西には瀬戸内海が望めます。本丸は21時まで解放されているので夜景を見に訪れる人が多くいます。
天守には築城主として葵のご紋が付されています。これは現存する12天守の中で松山城だけです。また、平山城の中でも最も高い城郭になっており、姫路城の約3倍の高さにあります。
ふもとから松山城ロープウェイやリフトが運行され、同じ切符で乗れるようになっています。ロープウェイを使わない場合、登り坂を20分歩くことになる旨を把握しておきましょう。
伊予松山城は天守のほか、櫓6棟、門7棟、堀7枚が重要文化財に指定されているのが特徴で、29棟の建築物も木造で復元されています。
天守内は侵入者を監視する窓があり、天守へ入ろうとする人が丸見えです。また、壁には狭間という穴があり、侵入者を攻撃するためのものになっています。
城山公園は桜の名所となっており、ソメイヨシノの開花時期には多くの人が訪れます。他にも河津桜・陽光桜・エドヒガンザクラなどいろいろな種類の桜が見られます。
伊予松山城へのアクセス
「道後温泉行き」市内電車で約10分または「大街道」下車徒歩5分