掛川城(静岡県)

掛川城公式サイト
画像引用元:掛川城(http://kakegawajo.com/)

二の丸御殿は重要無形文化財に指定されている掛川城は、日本初の本格木造天守閣として復元された城でもあります。
今回は掛川城について紹介します。

掛川城の歴史・特徴

掛川城は今川氏の勢力拡大により、家臣の朝比奈氏に命じて築城したのが掛川城の始まりです。
1560年、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、1568年、息子の今川氏真は武田信玄に駿河を追われ掛川城に立てこもります。
翌年、徳川家康が掛川城へ攻め込んだのち、和睦となり開城させました。
家康の領地になった後、家臣の石川家成が入城。対武田氏の拠点となります。
豊臣秀吉が天下を統一すると、家康は関東へ拠点を移します。その際、掛川城には秀吉の家臣である山内一豊が入り、天守閣をつくり城下の整備を行いました。
その後、山内一豊は関ヶ原の戦いで土佐を与えられたため、別の城主となりますが頻繁に交代されるようになります。
明治時代に入ると廃城令により、ほとんどの建物が撤去されてしまいます。
1994年に日本初の木造復元天守として再建されました。
この再建には地元住民や企業から多くの寄付金が集まったそうです。
なお、外観は山内一豊が築いた初代の天守を想定していますが、資料は残っていなかったため、一豊が掛川城と意匠を合わせた高知城の天守を参考にしています。

掛川城天守閣は外観3層、内部4層からなります。
本体は120平方メートルと決して大きいものではありませんが、張り出し部を設け、入口に櫓を設けて外観を大きく見せる工夫がされています。
1,2階に比べて4階の望楼部が極端に小さくなっていますが、物見のために望楼部を載せた天守閣が登場した初期のなごりです。
白漆喰の真っ白な城壁は京都の建物に、黒塗りの廻縁・高欄は大阪城を模したものと考えられています。

掛川城の見どころ

太鼓櫓は城下に時間を知らせるための大太鼓を納めていた建物です。
当時使われていた大太鼓は今も見ることができ、掛川城御殿の広間に展示されています。
門の跡は見つかっていませんが、資料をもとに復元した四足門。門の内側は入場者を調べる番所がある重要な門です。
三日月堀は本丸門の前面に深さが8mもある堀が配置されています。調査によって堀の南側に石垣が見つかり、その下には柱穴が並んでいるそうです。

掛川城には様々な伝承があり、霧吹井戸の伝説もその一つです。
徳川家康と武田信玄に攻められた今川氏真は、重臣とともに掛川城に逃げ込みます。
その際、井戸から立ち込めた霧が城を隠してしまい攻められなくなったそうです。それ以来、掛川城は雲霧城とも呼ばれるようになりました。

掛川城へのアクセス

JR東海道本線掛川駅下車から徒歩8分
※大手門南側に有料駐車場有