上田城(長野県)

上田城の歴史・特徴

上田城は、長野県上田市にある城郭です。
上田城そのものの魅力もさることながら、「真田昌幸によって築城された」という歴史的価値が特別なものにしている面もあります。
築城は、その真田昌幸によって天正11年(1583年)と考えられています。
周囲が掘と土塁によって囲まれており、さらに出入り口には石垣が使われている非常に堅固な作りをしているのが大きな特徴です。

そんな上田城の堅固を広く知らしめているのが、第一次、第二次の二度に渡った「上田合戦」です。
どちらも徳川方との戦いであり、徳川軍の大軍に囲まれながらも見事に撃退したことで知られています。
とりわけ慶長5年(1600年)の第二次上田合戦は関ケ原の合戦とのつながりも深く、徳川家康の跡継ぎとなっていた三男、徳川秀忠が上田城を包囲したものの、結局落とせずに関ケ原の合戦に遅参する大失態を犯したと考えられています。
どうやら家康は秀忠に功績を挙げさせるために大軍を預けて上田城を攻略させようとしたらしく、上田城と真田昌幸はその目論見を見事に粉砕したことになります。

もともと歴史ファンの間で真田昌幸とその子である真田幸村の人気が高く、その拠点としての価値も上田城は持っています。
結果的には彼らは敗者となったわけですが、勝者を苦しめた実力が歴史ファンのロマンをかきたてるのでしょう。
上田城はそんなロマンを味わえる場所でもあるのです。

このように堅固なつくりが最大の特徴なのですが、もともとは櫓門が2基、隅櫓が7基あったものが現在では櫓門は1基、隅櫓が3基残っている状態です。
敷地内には現在でも当時の石垣や土塁を見ることもできます。

上田城の見どころ

見どころはやはり櫓、とくに県宝に指定されている西櫓は上田城の特徴を知ることができる重要な場所となっています。
歴史好きが城郭と言われて連想する「武者窓」や「矢狭間」「鉄砲狭間」などもあり、いかにも防御を重視した作りであることをうかがうことができます。

それから堀と土塁も特徴です。
残念ながら徳川が天下を取った後に土塁を崩して堀を埋めてしまったのですが、江戸時代にこの地に入封した仙石氏によって復元されています。
現在見ることができる上田城の姿は、この江戸時代に復興された状態がメインとなっているのです。

そしてもうひとつ見逃せないのが、「真田井戸」と呼ばれる井戸です。
これは現在眞田神社の境内にあるもので、かつてはお城の本丸の敷地内に唯一あった井戸と考えられています。
この井戸は地下で上田藩主の居館などに通じる隠れ通路があったという伝説もあり、歴史のロマンをかきたててくれる場所となっています。

上田城へのアクセス

上田城(上田城址公園)はアクセスが非常に良く、最寄り駅の上田駅から徒歩12分ほどです。
しかも上田駅にはJRのほか、しなの鉄道、上田電鉄も運行されているので、鉄道で気軽に訪れることが可能です。