国の重要文化財に指定されている宇和島城。市の指定文化財の上り立ち門といった建物が見られます。
豊かな自然も見どころです。
宇和島城の歴史・特徴
宇和島城は藤堂高虎が鎌倉時代に築かれた板島丸串城を改修して作られました。現在は埋め立てられていますが、城の北と西側に宇和海に面したところに築かれています。
高虎は今治城や伊賀上野城など名城築家として知られており、宇和島城も高虎の特色あふれる城だそうです。
完成後、高虎は今治に移り、伊達英宗が入城しました。1671年に2代藩主の宗利により、大改修が行われ今の形となります。
高虎が築いた天守は望楼型でしたが、宗利によって行われた改修は層塔型となりました。
通常は、防衛のため天守の入り口は目立たせないようになっていますが、堂々とした玄関のつくりとなってます。破風も飾りとして乗せられているだけと太平の世に再建された城だとわかります。
天守以外で残っている建物は上り立ち門と石垣のみです。
城主となった伊達秀宗はかの有名な伊達政宗の側室の子です。仙台藩を正室の子である伊達忠宗が継ぐことになったため、宇和島の藩主となるのでした。
分家のような形ですが、実際は大名扱いされており、幕末に至るまで伊達家が宇和島藩を治めています。
宇和島城の見どころ
宇和島城のある城山は300年以上、伐採や火災から免れたため、約400種類の自然豊かな姿を鑑賞することができます。
上り立ち門は国道56号線に面していますが、当時は裏門として使われていました。現存する中では最大クラスの大きさを誇ります。
藤堂高虎時代に作られたものである可能性が高く、最古の門ではないかという評価もされています。階段は急な傾斜となっているので注意が必要です。
上り立ち門から続く道を進むと山里倉庫という武器庫があります。江戸時代の武器庫は現存しているものが少なく貴重な遺産です。
天守の規模は比較的小さいですが、白壁が美しく別名「鶴島城」と呼ばれる国の重要指定文化財です。
天守内部は実戦的な要素は少なく、唐破風(からはふ)や懸魚(げぎょ)などの装飾が多く見られます。天守特有の急角度の階段は手すりに装飾が施されるのも特徴です。
狭間や石落としといった侵入者を撃退する設備もありません。
また、宇和島城を空から見ると不等辺の5角形をしていますが、これは見た人を4角形に錯覚させ死角を作る形になっています。実際に徳川幕府の隠密が見誤ったことが記録されています。
宇和島城へのアクセス
宇和島駅からバスで5分。徒歩25分。