石積みで名をはせた穴太衆

安土桃山時代には活躍した穴太衆という石工

「織豊時代」とも呼ばれる安土桃山時代に、城郭や寺院の石垣施工で活躍した「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる石工の集団がいました。
もともとは今の滋賀県にあたる近江国の琵琶湖の西岸、穴太(あのう)という地域にいた石工集団を指していました。
それが、いつのころからか石工全体を指す言葉として定着しました。

なお、石工とは石材を扱う職人のことで、穴太衆の特徴は自然のままの石を加工しないで積み上げて堅牢な石垣を作ったことです。
自然のままの石を積み上げるだけなので、素人目にはただ無秩序に積んでいるだけのように見えます。
ところが、石の大小の組み合わせや比重のかけ方などが非常によく考えられており、地震には強く、排水にも優れた工夫がされているなど、とても優れた石垣を作っていたのです。

穴太衆の石垣を積み上げる秘訣

穴太衆は土木作業全般を得意としていましたが、自然のままの石を加工せずに積み上げて堅牢な石垣を作る「野面積(のづらづみ)」という技術にこそその特徴があります。
野面積以外にも、石を加工してきれいにしてから積み上げる切り込みハギや打ち込みハギといった技術もあります。
しかし、自然の石をそのまま積み上げただけの野面積が数ある技法のなかでも最も耐久性が高いのです。

穴太衆の野面積の教えに「石は二番で置け」との言葉があります。
石の面より少し奥の方に荷重のかかる位置を持っていくという教えです。
石をきれいに加工して積み上げる方法だと石の面がぴったりそろいますが、そのせいで前の方に荷重がかかってしまい、地震などで振動が加わると石が前方に滑ってしまう危険性があります。
石の面がぴったりそろっていると、遊びがない分、大きな力がかかったときに力が分散されないからです。

このような教えは穴太衆に伝わっていますが、具体的な野面積の方法などは伝わっていません。
というより、大きさも形も違う自然のままの状態の石を使うため、方法をマニュアル化しようと思ってもできないのが理由です。

では、マニュアルもないのに穴太衆はどうやって石積みの技術を磨くのでしょうか。
穴太衆の名を受け継いで活動している石工職人は、現在1軒しか残っていません。
その人たちに話を聞くと、技術の習熟は石を見極める目を養うしかないと言います。

マニュアルのない石積みの技術なので、技術に習熟するには実際に現場でやってみるしかありません。
そのためにはまず、山に入って自分で石垣に良さそうな石を選ぶところから始まります。
その石たちを頭の中でさまざまに組み合わせながらイメージを作り、それを実地に試すということを繰り返すわけです。

需要の関係から現在は少なくなった石工職人ですが、今も穴太衆の技術を次代に残そうと努力している人たちはいます。
せっかくの技術ですから、これからの時代にも生かしてもらいたいものです。