天守閣の役割とは

城の歴史

日本において城の歴史は古く、7世紀ごろは山城が築かれることもありました。
とはいっても多くの人が想像するような立派で豪華な城ではありません。
昔の城というのは純粋に戦うために作られた建物でした。

そのため城に入るのは戦がある時だけで、戦の期間だけ立てこもり戦がない時には山麓に住んでいるということが一般的でした。
そういった山城を見ることができるのは西日本のみです。

西日本には当時の百済から亡命してきた貴族が山城の建設の指導をしたことで、西日本で山城が発展したと言われています。
多くの人がイメージする城と山城の違いを見てみるのも面白いでしょう。

織田信長の影響

上記のように最初の頃の城というのは天守閣などもなく、多くの人が知っているお城とは異なるものでした。
そんな城に大きな変化をもたらしたのが、かの有名な織田信長です。

天守閣や石垣・瓦といった現在の城のイメージと同じタイプの城を織田信長が築城し、最初に天守閣がついたお城というのが安土城です。
今までの山城なとと異なる雰囲気のお城の登場は今までのお城の常識を覆しました。

そんな安土城が登場して、今までのお城とは異なる天守閣のあるお城という今のイメージと同じお城が建てられるようになります。

権威の象徴である

天守閣の役割の1つとして権威の象徴の意味を持っています。
城にある天守閣というのは非常に目立つものです。
この天守閣の存在によって、自身の権威を示すことができると考えられていました。

特に権威の象徴として天守閣が利用目的となっていたのが江戸時代以降です。
派手さが権威を象徴することができるため、名古屋城や広島城などの天守閣は見た目の派手さが強いものの内部の作り自体は簡単になっています。

豪華なものであればあるほど、自身にはこんなものを作れる力を持っているというのを多くの人に示すことができます。
自身の権威を示すことは、争いの多い時代ではとても重要なことであったとこのことからも考えれます。

監視や行事・避難場所として

天守閣というのは、高い場所にあるものです。
天守閣からは場内だけでじゃなく場外やより遠方を監視することができます。
戦の多い自体だったからこそ、いつ敵が攻めてくるか分かりません。
そういったことからもいざという時の場内外の監視に役立っていました。

また、歴史を見てみると権威の象徴のほか天守閣を儀式の際に利用したり緊急の時の避難場所として利用したという例も残されており、多くはありませんがこういった役割も担っていたと考えられます。

岡山城や熊本城の天守閣の場合書院造の要素を含んでいたりと天守閣にも違いがあります。
色々な役割を担っていた天守閣は歴史を語る上で重要なものであったと言えるでしょう。